24歳になってしまった
3/8、24歳の誕生日を迎え、正直な気持ちを吐露してみる。
今日は(正確には日を跨いでしまったから昨日になるのだが)、一日中絶望していた。
たかが、生まれてから24年が過ぎただけ。前日はそわそわしつつも、ある程度普段通りに過ごしていたんだから、そこから一日を足しただけでこんなにも重みがあるのか、と思った。でも、できることならこの日を迎えたくなかった。
人生というものは、漠然と流れていくものであっても、自分の意志で、意図的に操作可能だ。その事をはっきりと自覚したのは、この1,2年のことではあるが、善し悪し関係なく、この人生を選んだのは他でもない自分自身であるし、今ある自分は、その都度選択してきた過去の自分の集合体である。
20歳を越えた頃から、毎年毎年誕生日を迎える度に、ある種の絶望に苛まれるのだが、今回が一番酷い。控えめに言って、かなり辛い。
最近、色々と悩んだ甲斐があって辿り着いた一つの真理とも呼べるものがあって、それに気付いてからは、精神的に安定して、毎日を密かな幸福感と共に過ごしていたのだが、今日は、マイナスの感情に身を委ねていた。というか、そんな陽転思考も入るスキがなかった。
時は刻一刻、否が応でも、止める術はない。
時間という制限は、意識しなくなった時点で、未来だと思っていたものが、現在に捕捉されていく。
常に意識していたつもりだけれど、今まさに僕が捕捉されようとしているものは、自分で決めた人生観であり、長年思い続けていたことであり、そして命であったりする。
遠回りをしつつも、これまでの人生で得たものには絶対的な確信があるし、昔の様な根拠のない自信ではない、ファクトに基づいた、結果を伴う揺るがない自信も身につけた。
崇高なる自己と、怠惰でどうしようもない自分との折り合いもつき、ある程度フラットにそれも個性で自分自身だと、その両者を認めることも出来た。
それでもやはり、もっと早くできたのではないのかと思う。
もっと成長できたのではないのかと思う。
そして、目に見えるような、形のある結果に落とし込めたのではないのかと思う。
猛烈に、後悔というよりは、そのだらしない自分に落胆している。
誰一人幸せにしていない、恩返しもできていない自分に腹立たしく、そして周りの人達に申し訳なく感じている。
大学1年生のころ、人生の一つのタームに、25歳の自分を挙げている。
誕生日という節目に、昔の日記を漁ってみた。そこには確かに記されてあった。
「25歳までに大成していなかったら死ぬ」
http://blog.livedoor.jp/tatsurooooo/archives/3572935.html
大成の定義を、どの程度で考えていたのかはわからない。
そして、今、その25歳までという期限を、25歳の内も含む、という自分にとって都合のいいように書き換え、捉えようとしている自分が酷く惨めで情けない。
あの頃は、確か25歳の誕生日を迎えるまで、という考えでいた気がする。そして、気がする、という曖昧な言葉を使っているのは、己の弱さだということを自覚している。
とにかく、24歳になってしまった。
この揺るがない事実と、これまでの歩みをしっかりと振り返り、未来に繋げること。
補足されるわけではなく、胸を張って、人生の第二期を、想像もできないようなワクワクとした成長と、その先にある幸福に満ちた、意義のある人生を迎えられるように、そして、いつか気付いた夢や使命を果たせるように、
今は、これからは、一日一日を、確かなる実感と共に、大切に、歩んでいこうと思う。
最後に、これまで勝手に生きてきた自分を許してくれた親と、家族
誕生日を迎える度に連絡をくれる数少ない友人と、
これまでの人生に関わってくれた全ての皆様に感謝を伝えたい。ありがとう。