スピリチュアルと男性性と女性性について
男性性とは、切り開く力。マイナスに働けば壊してしまう。
女性性とは、受け入れ包み込む力。マイナスに働けば、落ちてしまう。
意識が現実を作り、感謝やスピリチュアルの先に幸せや救いの答えがあるのではと思い、
あるがままにそのまま感じ、宇宙や地球に生かされていることに感謝し祈りを捧げ、毎日気付きと幸福感に浸りながら感じていたこと。
「生きづらい」
地球に還りたくて
海に還りたくて
自然に還りたくて
現実社会が生きづらくて。
感性を磨くと生きづらくなるなら、それは大切にしながらもある程度に抑え、地に足をつけ現実社会で生きてゆかねばならないのかな?と。
スピリチュアルに傾倒し感謝や幸せの最大化を図ろうとする本人達が実際生き辛そうで、伝道師を崇めている構図もまた異様だし、
そのスピリチュアルに触れ、世の中を目覚めさせ良くしよう!と言っているけど聞いてみたら仲間だけで集まり対外的なアクションレベルにまで落とし込めていない人達を見て、
現実的であることの重要性みたいなものを、改めようとしていた。
だが、それも少し違うと教わった。
男性性と女性性。
男性性は論理で現実化する力。形にする力。
女性性は感性で感じる力。受け入れる力。
スピリチュアルに傾倒しすぎなのが悪いわけではなく、現実が見えなくなるのがダメなんだ。
意識を現実化する場がこの世界。
あらゆる正しさや間違いを女性性を最大化することで発見し、
それらの対処や解決を男性性で、実行する。
想像豊かに確かに現実に。
着眼大局 着手小局
これって、そうゆうことなんだろう。
言っている意味がわかるかな?
いやいや奥が深い。人生すごい。