(未定)

雑種的な感じで

京都一人旅

京都一人旅から帰って来て、この日記を書いている。
ある程度まとまった時間が取れたので、突発的にだが京都に行ってきた。本当は、広島当たりでバックパックして、民家を訪問しようと思っていたのだが、その時間はなさそうだったので、京都に。


三年ぶりに訪れた京都は、相変わらずとても良い所だった。
伏見稲荷大社で野宿をするために千本鳥居をくぐると、いきなり電気が消え、真っ暗の中進むのは、興奮した。
怖い感じは全くしなくて、寧ろ歓迎してくれているのだと、そう思った。


朽ちた鳥居の上に立てられる新しい鳥居一つ一つには、建てられた人の名前と会社名が。
歴史が紡がれていくように、人の想いや願いも、こうして紡がれていくのだな、と思った。


以前訪れた際は、人生に迷いもあり、癒やしを求め、何かを探す旅だったが、
今回の一人旅は、積み上げてきたもの、手放したもの、新たに得たものを確認して、確信する旅であった。

 

自分の心に正直であること。
なにものにも優しくすること。
全てに感謝すること。

 

人生とは、一見辛いことばかりのように思うかもしれないが、
実は、幸せの連続である。


痛みは痛みとして残るけど、それは将来の糧になる。
僕ら人間は学習し、たまに愚かになるけど、確かに生きていく。
過去は今をつくり、今は未来にわたっていく。
振り返ったものは、素晴らしい経験ばかりで、それをもとに、これからどれだけの事ができるんだろう。
そうやって暮らしていくと、感性を研ぎ澄まして、愛のメガネをかけて生きていくと、それに気づく。

 

旅先では、色んな人に出会った。
しがらみの中で、自分の進路に悩む女性。
焼き肉屋から一転、完全無農薬の食材のcafe&restaurantを経営する一家とその仲間の方々。
何言っているか分からないけどニコニコ話をするおじいちゃん。
家庭内暴力うつ病、引きこもりを無くすことをミッションとする同士。
その場にたまたま居合わせたアパレル店員さん達。


答が出ている方もいれば、まだ道の途中にいる方もいたけど、
それでも確かにみんな一生懸命に生きている。

 

一人旅とは言いつつも、色んな心に触れ、とても優しい気持ちになった。
自分自身も、かなり人生に悩んできたし、荒んだ思いをしていたけど、今、笑っている事。それが全て。

 

誰かを幸せにしたいと思うなら、自分自身が幸せにならなければならない。
笑顔は、必ず伝播する。まずは自分から。そのエネルギーを皆に伝えていく。

 

よく、不平や不満を言って、他人を羨んだり、貶したりする人がいるけれど、その人もそれなりものを抱えていると考えれば、優しくなれる。


植物が、地上に出ている身体の何倍もの根を張っているように、
人間も、表面に出ていないだけど、もっともっと素晴らしいものを持っているんだって。そうゆう、眼に見えないものを、感じて、その可能性を、信じてる。


そうして、誰もがそのようにして生きていけば、
この人生、誰もが愛を持って、本当の意味で幸せに、生きていけるんじゃないのかなと思う。

 


さてさて、執着せずに、平穏で、でも確かに強い心をもって、
人々の為に、このかけがえのない命、使っていこうか。