(未定)

雑種的な感じで

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がやっと理解できた

最近、組織を作って、指導をする立場になり、人と関わり方が昔とはガラリと変わった。

 

昔の自分は、誰かに認めてもらいたくて、誰にも負けたくなくて、背伸びをしたり、人を貶したり、自己顕示欲を満たすために、自慢話を会話の中に散りばめていた。

自己承認力が低すぎて、それでも自分を認めたくて、かなり精神的に疲弊していた。

 

でも最近はどうだ?全く違う。

どうすればこのメンバーは自信を持ってくれるのだろうか、もっと言えばどうすれば、この眼の前の自分と関わってくれた人は、人生を幸せだと感じ、楽しんでくれるのだろうか?そんな事ばかり考えている。

 

そして、自分を変に大きくみせるためにカッコつけるのは止めた。むしろ、バカにされるようなことばかり言っている。自分がバカにされることで、相手が自信を持ってくれるならば、成長してくれるならば、それでいい。

誰にも負けたくない、と思っていた昔とは真逆で、今は、負けてあげたいな、なんてことを考えている。ギリギリのところで負けて、それで自信を持ってくれたらいいな、なんて事を考えている。

 

 

この前、久しぶりに、クラブに行った。

「日本」と書かれたハチマキをしたフランス人(通称:わさびマン)とその仲間達と仲良くなり、明け方まで踊り狂った。

近くに激しいジャパニーズダンサーがいたので仲良くなり、わさびマンと繋げ、ひたすら「かっこいい!ヒーローだ!」と声援を送る。

楽しさは伝わるものなのか、その周りにいた人達も少し離れたところでニコニコ見ている。僕は彼らの肩に手を回し、その輪に連れて行き、一緒に手を繋いで踊った。さっきとは比べ物にならないくらい楽しんでくれた。

 

結局は、こうゆうものなんだと思う。

そして、ちょっとしたアクションを起こし、繋げるだけで、これだけの笑顔が作れるんだと思った。架け橋になればいいんだ。黒衣もいい。皆が笑ってくれていれば、それだけで自分もこんなにも満たされるんだって知った。

 

 

 

目立とう、勝とうと、その中心にあるのが自分だったら、それではきっといつまでたっても満足できないよ。利己的ではなく、利他的である生き方。人のために生きてこそ人とまでは言わないけど、期待を持たずに、道徳心で生きる事こそ、みんなハッピーな生き方なんじゃないかって、心から、思う。