(未定)

雑種的な感じで

共生・循環

僕の大好きなネイティブ・アメリカン(インディアン)には、
メディスンマンと呼ばれる人達がいる。
一般的には、シャーマンだとか、ヒーラーだとか言われている。

 

彼らは、自然界との調和、バランスをとても大切にしていて、

誰かが、病気や心に不調を訴えた時は、

祝詞をあげたり、施術したり、薬草を煎じて身体を治したりする。

 

それは、自然に還るという行為。
僕たち人間も、本来は自然の一部であることを、
近代社会の中にいると、忘れてしまう。
それ故、己と誰かを比較し、
悲しくなったり、辛くなったりする。

 

じゃぁ、自然界ってどうなのかな?って考える。

自然界は、お互いがお互いを支えあい、補いあい、
共生している。

 

地中深く根付いた植物は絡み合い、

土に含まれる栄養分を元に、すくすく育つ。
それらは時に、生き物の糧になり、
糞は、大地を肥やす。

 

「循環」

 

循環が、大切だね。

動物が酸素を吸って、二酸化炭素を吐くように。
植物が二酸化炭素をもとに、酸素をつくるように。

 

こうした、当たり前の自然的循環を、

共生していくということを、

もっともっと、味わっていきたいね。

在り方

先輩みたいな後輩が、在り方を変えようと思ったと話してくれた。
夢や目標、期限をつけてそこにいこうとしていたと。
でも、今は、在り方が定まったと。
 
〇〇さんみたいになりたい。
〇〇さんのようになりたい。
 
自分を信じるということとは、人格の成長でしかあり得ないと。
 
今までは、口だけだったという。
しかし、自分とは、等身大でしか無いという。
そして、経験して、考えて、気付いて、
口だけじゃなく変わった、という。
変わったと言われたと、いう。
とても穏やかに。
 
 
 
尊敬している方がいる。
その人の眼光はいつも鋭く、真剣だ。
時々、怖い、と思う。
本気で生きている人の目の前では嘘はつけない。
 
その人のことを思い浮かべてながら、
どうしたら、自分もそうなれるのか考えていた。
 
毎日続けていると、途中で気づく。
自分とその人は違うと。
自分には、自分のスタイルがあると。
自分には、自分の個性があり、自分の長所があると。
そして、考えるのを、やめようとした。
 
 
でも、今日、その後輩と話して気付かされた。
いや、気付いていたんだけど、また、振り戻された。
 
自分とその人は違う。
考えも違えば、興味や何かにかける思いも違う。
 
しかし、
 
自分がその人に憧れるのは、
「在り方」だと。
 
いつまでもどこまでも
人に対しても、自分に対しても、ストイックであることだけではない。
 
命を尊び、真剣に生きる、強さ。
その、「在り方」だ。
 
 
己の弱さを受け入れる強さというが、
己の弱さと、その人が養ってきた「在り方」を
人それぞれ違う、というような簡単な言葉で済ませてはいけない。
済ませたくない。
それは、単なる”逃げ”でしかない。
 
そもそも、俺が憧れたのは、尊敬したのは、
その「在り方」なのだから。
そこから、逃げてはいけない。
逃げたくない。
 
 
 
全く、できた後輩です。
素晴らしき、先輩です。
弱き、自分です。
 
 
誰よりも、逃げてはいけない人がいる。
いつも先を走って下さり、背中で魅せてくれる。
追いつきたい背中?
否、立ち向かいたい背中。
自分の弱さが、よく見える背中。
 
 
やなさん!
強くなりたいです。
自分に負けたくないです。
ご指導下さい。

人生、タノシメヨ!

昨日、今日と
日本、世界、地球のことが大好きな人達で集まる、
宇宙会議なるものにご縁があって参加させて頂きました。
 
 
なんかもう、本当に、宇宙人しかいなくて、
とても居心地が良くて、楽しすぎて、
めちゃめちゃ笑っているけど、
皆さん心が素敵で、真剣で、
 
この方たちは、本当に、全てを愛しているんだろうな、と思いました。
 
 
そして、気付いたことが一つ。
どれだけ真剣であろうと、どれだけ考えていようと、
何でも楽しんでいて、楽しそうに何かを変えようとしている。
動いている。
 
 
結局さ、そのプラスのエネルギーが働くからこそ、
多くの人が共感し、分かり合い、集うんだろうなぁ、と。
楽しいから、ワクワクするから、やれるんだろうなぁ。
 
 
なんか、色んなことごちゃごちゃ考えるけど、
大事なことは嫌ってほど分かっているし、
そして、考えすぎで頭が絡まってるって、
有難いダメ出しも頂いたので、
 
 
人生を、本気で楽しみながらやってきます。
 
 
 
というか、楽しみたいな。楽しみたいね。
楽しもうかな。楽しもうな。楽しむよ。

楽しいな!楽しめよ!タノシメヨ!ヨ!
 
 
 
 
 
追記
ここの皆さん、本当に、
素敵すぎて、エネルギッシュで、
ハッピーで、熱い方々ばかりなので、
 
もっともっと楽しく生きていきたい方、
笑って生きたい方々、
というか、全員強制ぐらいの勢いで、
フォローをお薦めします!
 
どうも、みなさん、有難うございました!!

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とうとう25歳になりました

成長日記~学校とか、ビジネスとか、ITとか、起業とか~ : 月が綺麗ですね = I love you

成長日記~学校とか、ビジネスとか、ITとか、起業とか~ : 誕生日を迎えたことと、近況報告も兼ねて


24歳になってしまった - (未定)

 

 


 
お祝いの言葉をくれた皆様、ありがとうございます。
3月8日、25歳の誕生日を迎えました。
約束の歳が来ました。僕にとって、本当に大切な歳です。
 
 
20歳を越えてから、
毎年の誕生日を向かえる前日は、その年で一番絶望的な日になります。
 
 
ビルや高台に上り、
月を見上げ、地面を見下ろし、
圧倒的な不安と恐れに苛まれ、
命を投げ出したくなる衝動と、
泣きながらも、次の歳を迎える決心するのです。
 
 
そして、とうとう、先日の3月8日、約束の歳を迎えました。
 
 
25歳は僕にとって一つの節目です。
とてもとても大きな、節目。
この歳だけは、譲れない。
 
 
18の時、一つ、デッドラインを決めました。
「25歳までに大成しなければ、死ぬ」
その名の通り。
 
 
生き急ぐ10代。
多くの挫折や失敗を繰り返し、ボロボロになった20代前半。
 
 
想像できなかった未来では、
想像もしていない苦しさ、辛さ、孤独を味わったけど、
この歳を迎える前に、経験できてよかったな。
 
 
そして、
多くの痛みを伴い、その度に命と向き合ったからこそ、
気付けたことがあります。
 
 
 
 
 
僕は、この地球が、本当に大好きです。
そして、人が、本当に大好きです。
 
 
 
 
 
これを、守りたい。
美しいこの世界を、守りたい。
そのための、力が欲しい。
 
 
僕のこれまでは、一人で生きていたつもりだったけど、
振り返れば、何かに、誰かに、支えられっぱなしの人生だった。
それを、本当に実感している。
だから、恩返しがしたい。
 
 
”なんでこんなことばかり自分の身に起こるんだ”
そう思う出来事が、何度も降りかかりました。
 
 
「健康、経済、人間関係」
 
 
僕は、この世の中の社会問題を
これでもかってくらい味わいました。
控えめに言って、すごく、きつかった。
 
 
でも、今なら分かります。
僕がそれを経験したのは、
僕がそれを解決出来るからだと。
 
 
すごく辛くて、絶望的なこと。
 
 
その社会問題を、解決できる力が僕にはあるからこそ、
一人でも多くの人を守れるようにと、
神様が経験させてくれたのだと。
 
 
 
 
 
何か話が色んな方向に飛びすぎてしまった。
とにかく、25歳になった。
今までの人生は、この歳を迎えるための準備。
 
 
酷く辛くみすぼらしい、
でも短くて心から愛おしい、
そんな想い出になる、人生準備の期間だった。
 
 
そして、25歳。この歳は、「実行と結果」の歳になる。
今まで溜め込んだものを、想いを、開花させる歳になる。
 
 
 
プライドも、自信も、あらゆるものを無くし、手放して、
本当にゼロになり、スタート地点に還った25歳の誕生日。
 
 
自分の無限の可能性が見えた。
 
 
天命に気付き、大切なことに気付き、
守りたい存在に気付き、大きな愛に気付き、
 
 
絶対に揺るがないものを手に入れた今、
後は、やるだけ。飛び込むだけ。勇気をだして、行動するだけ。
 
 
 
 
 
命よ、動いてくれよ。
命よ、輝いてくれよ。
負けんなよ。頑張れよ。
 
 
俺は、今までしなかった、俺を全力で、応援していこう。
絶対に、結果を出そう。
 
 
 
 
 
昔はよく、口に出していたな。
何でも出来ると思っていて、
中二病がずっと治らずにいた俺は、
高校生、大学生になっても言っていた。
 
 
「俺が地球を救うんだ!」
 
 
そして今、25歳になった俺は、もう一度言おう。
原点に還って、恥ずかしげもなく、言ってやろう。
 
 
 
 
 
「俺が、地

 

球を、救うんだ」
 
 
 
 
 
俺が、地球を救います。
よっしゃ。
これから、世の中に、出て行く。f:id:tatsurooooo:20150313003038j:plain

人が、好きだ

大学1年の時、人生に絶望した。

それと同時に、人間に絶望した。
 
 
その時俺が悟ったのは、

 


「人に期待するな」
ということだった。
 
 
期待すると、裏切られる。
信頼すると、ダマされる。
信じられるのは、自分だけ。
そうすることで、人から傷つけられることは減ったけど、
とても、孤独だった。
 
 
あの頃の俺は、
常に心にバリアをはって、
踏み込もうとする人からは、
気付かれないようにフェードアウトし、
当たり障りのないようにと、
誰かと向き合うことは避けていた。
 
 
人間が、
汚くて、
醜くて、
嫌いだった。
 
 
 
あれから数年が経ち、
結果として、
騙したり、騙されたり、
傷つけたり、傷つけられたり、
沢山経験したけど、気付かされることも多かった。
 
 
人間は相変わらず、
気分屋で、自分勝手で、
人の気持ちなんて考えなく、
 
 
奪い合い、騙し合い、
平気で誰かを何かを傷つける生き物で、
愛がなんなのか分からなくなることもあるかもしれない。
 
 
だけど、それと同時に、
真剣で、利他的で、
相手のことをしっかりと考えていて、
 
 
分かち合い、手を取り合い、
お互いが繋がって癒やし合っていく生き物だと、
とても美しい愛で溢れていることを知った。
 
 

一人で生きていければと
孤独を感じながらも思っていた俺も、
 
 
”人と人との間” に確かな温かさを感じ、
それによって支えられ、癒やされていたことに気付く。
 
 
人間が嫌いだと、関わりを拒絶していた俺は、
ただの愛情に飢えた子どもで、
今では与えられていた愛の大きさに気付くことができ、
人を信じることができるようになった。
 
 
 
そして、そんな今だから、言える。
俺は、人が好きだ。
心から、人が大好きだ。
 
 
家族、友人、仲間はもちろん、
実際に会ったことはないけど繋がっている人、
さらに、目の前にいる全く知らない人にさえ、
愛情を感じる。
 
 
この世に生きていると、
汚いものばかり見えてしまいがちだけど、
目を凝らしてみると、
その人の持つ”愛”が見えてくる。
こんな素敵なものを、皆持っているんだと感動する。
 
 
そして、それによって、幸せを、感じる。
 
 
 
 
俺は、こうゆうことを、伝えていきたい。
バカにされたっていいし、
綺麗事だと思われても構わない。
宗教だと敬遠されても、
気持ち悪いと罵られても構わない。
 
 
与えられたものを、しっかりと還元していきたい。
俺が気付けて、救われたこと。
それを伝え、貰った愛を、渡していくこと。
 
 
誰かの心が、俺のその行為によって、
一人でも多くの人の心が癒やされて、
幸せになれるなら、
俺は、そうゆうことを、していきたい。f:id:tatsurooooo:20101120061120j:plain

明日に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

 

俺は、本当に幸せものだと思う。

この年で、自分の天命に気付くことができたから。
絶対に、何があってもブレない軸を、持つことができたから。
                                    

迷い、不安、恐れ。
そんなものは、一切ない。
自分の心に、圧倒的な自信を持つことができた。
                                    
”己を知る”とは、
自分の生まれてきた意味を知ることである。
                                    

生まれた意味を、100%理解できた人間は、とても強い。
なぜならば、自分の成すべきことを、知っているから。
                                    

一生迷わない。
エゴなんてない。
魂が、しんとしている。
                                    

そして、その中で想うことは、
ただただ、
この国のため、世界のため、地球のため、人々のため、
過去、現在、未来の命あるもののため。
                                    

本当に、ありがとう。
今まで、ずっと悩んできて、良かった。
これからは、ただ、
この己の魂を、命を、使っていくだけだ。f:id:tatsurooooo:20150209140317j:plain

おこちゃま

なんともおこがましいことでしょう。
自分自身が救われたがっているくせに、
誰かを救いたいだなんて。

 

結局本当の意味で誰かが誰かを救うことなんてできないんだ。
キッカケによる救いはあっても、
その人は、自力で幸せになっていくだけなんだ。

 

誰かを救うことで、自分自身が救われようだなんて
誰かを幸せにすることで、自分自身が幸せになろうだなんて、
深層で思っていた自分を恥じる。

 

自分を救うのは自分以外いない。
それ以外で、精神的自立なんてあり得ない。

 

「人生は幸せなものだ。」
これを言える人は、本当の自分の幸せに気付き、
それを手にした者か、その道中にいる者にしかあり得ない。


人生とは、苦難の連続である。
どんな人間も波を避けて通ることはできない。
一時の慰安に真に求めるものなどあらず。

 

学ぶべきは、
苦しみから逃れる方法などではなく、
そんな道などないと知り、
苦しみと戯れていく方法なのだ。
覚悟を決めて、前進していくということなのだ。
世俗の生き方が苦しいのであれば、そう生きていくしかない。

 

相変わらずおこちゃまでありました。
全くもっておこちゃまでありました。
反省。つぎに生きる。